小樽市議会議員 秋元とものり-今日も1日-今いる場所で勝て

「小樽市議会議員 秋元とものり」の今日一日の活動と感じた事を率直に紹介するブログです。

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(15)歌碑・記念碑 尼港殉難記念碑

歌碑・記念碑(15)は

尼港殉難者追悼碑です

尼港殉難者追悼碑-3  尼港殉難碑-3



小樽港を見下ろす手宮公園頂上広場の正面に「尼港霊場」がある。

ロシア革命直後の大正九年五月二十四日、ソ連領沿海州黒龍江畔の

ニコライエフスク(尼港=にこう)で日本人居留民約七〇〇人が赤系バルチザンに

虐殺される事件が起きた。

この中には、ロシア革命への干渉を目的に行われた「シベリア出兵」で駐留していた

日本兵も含まれていた。

居留民の多くが、定期船の発着港であった小樽から出港した縁で、遺骨は同十三年

小樽に運ばれ、八月手宮公園納骨堂に収納され、十月「尼港殉難者追悼碑」が

小樽市によって建てられた。

尼港殉難者追悼碑は、昭和十一年十二月、藤山要吉が慰霊のため、

自費で建て直し整備した。

「義列千載」の文字は、当時の征討司令官陸軍大将・町田経宇、撰文は

小樽高等商業学校教授・卜部岩太郎、書は、雪畦山田実丸である。

長く尼港霊場保存協賛会が所有していたが、昭和二十九年十一月二十四日付けで

市に寄付された。

毎年五月二十四日、慰霊祭が催されている。

平成元年十月、市は、建設省の都市公園内に納骨塔はふさわしくないとした指導を受け、

遺骨を中央墓地に納めた。

また殉難追悼碑を記念碑に改めた。

尼港殉難者追悼碑-1  尼港殉難者追悼碑-2  尼港殉難者追悼碑-4

以前紹介した藤山要吉が建立したんですね。

この碑があること自体初めて知りました。手宮公園の頂上付近にありますが

ちょっと分かりにくいのでは? 手宮公園頂上駐車場のさらに上に位置します。

この碑をしることによって、過去の悲しい歴史を知りました。

尼港殉難碑-3         尼港殉難碑
すぐ隣に建つ尼港殉難碑    上の方には「義列千載」の文字が
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