小樽市議会議員 秋元とものり-今日も1日-今いる場所で勝て

「小樽市議会議員 秋元とものり」の今日一日の活動と感じた事を率直に紹介するブログです。

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(13)歌碑・記念碑 藤山要吉像

歌碑・記念碑(13)は

藤山要吉像です

藤山要吉(ふじやまようきち)は嘉永四年(一九五一年)秋田県生まれ、幕末か

ら明治維新へと日本の歴史の大転換期の中で育った。慶應三年十七歳の時、松前

の回船問屋に奉公、明治五年、小樽へ移り回船問屋藤山重蔵に見込まれてその養

子となった。

以来、海運会社、保険会社、倉庫会社、銀行、鉱山等の経営に敏腕を振い、本道

産業振興の先駆者として頭角を現した。

中でも海運業では、本州をはじめ道内各離島航路を開拓し、汽船多数を保有、

ウラジオストックまで航路を広げ、小樽三代豪商の一人といわれた。

その反面社会福祉事業にも投資を惜しまず、育英資金を作ったりもした。

明治四十四年、大正天皇が皇太子の折、ご来樽されることとなり、そのお泊り所

として私財を投じて現在の公会堂を建築し、市に寄付した。その他篤行が多かった。

市ではこの業績に報いるため当時の安達市長が提唱し関係者の協力を得て、

市出身の彫刻家・中野五一に胸像製作を依頼、昭和三十三年六月三十日、ゆかりの公

会堂前庭(現市民会館前庭)に建立した。


藤山要吉-3  藤山要吉-2  藤山要吉

市民会館の庭にひっそりとたたずむ記念碑は寂しげでもあり・・・

市内の歴史的建造物や記念碑などを調べると「藤山要吉」の名前がでてきます。
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