小樽市議会議員 秋元とものり-今日も1日-今いる場所で勝て

「小樽市議会議員 秋元とものり」の今日一日の活動と感じた事を率直に紹介するブログです。

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桂沢ダムの小田観螢

以前富良野に行ったときに桂沢ダムにより撮影したものですが

桂沢ダムにより「ん? 記念碑だ! 誰の?」 

桂沢ダム-2  桂沢ダム-1

小田観螢だ

以前にこのブログで小樽の旭山展望台の奥にある小田観螢の歌碑を

紹介しました。

小樽中学校の教員をしていた事もあります。

看板の説明書きを見ながら「へ~、ほ~」と感心しつつ記念碑を見てきました。
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(22)歌碑・記念碑 勝又木風雨句碑

歌碑・記念碑(22)は

勝又木風雨句碑です

木風雨-2  木風雨-1  木風雨-3

張碓町二八八番地北上邸内・昭和六十二年(一九八七年)建立

勝又木風雨(かつまたもくふうう)本名誠は、大正三年(一九一四年)十一月八日、

千葉県に生まれた。

室蘭製綿所経営を経て、京呉服商を経営。

昭和八年「ゆく春」により、伊藤凍魚、飯田蛇骨、飯田竜太に師事、「雲母」「氷下魚」で活躍した。

雲母同人、俳人協会評議員、同道支部長を務めた。

勝又は、知人の家がある張碓をしばしば訪れ、海岸で出会ったアオバト(小樽市の鳥)の

美しさにひかれた。

句碑「アオバト」の営巣地、恵比須島を眼下に望む名勝の地に友人や弟子らによって建てられた。

句を刻んだ黒みかげ石が、高さ一・八メートルの札幌硬石にはめ込まれている。

碑文は、「青鳩や 礁つづきに小樽港」 注・礁=いくり=水面に隠れて見えない岩




(21)歌碑・記念碑 伊藤長右衛門像

歌碑・記念碑(21)は運河公園にある

伊藤長右衛門像
です
伊藤長右衛門像-2

伊藤長右衛門(いとうちょうえもん)は、廣井博士の後を継いで

明治四一年四月第二期小樽築港工事(島堤、南防波堤、白灯台)に着工し、

十三カ年の継続事業の後大正十年七月完成させた、小樽港築造の功労者である。

伊藤長右衛門は明治八年(一八七五年)福井県に生まれた。

東京帝国大学土木工学科を卒業、廣井 勇教授の勧めで北海道庁に勤め、

小樽築港事務所を振り出しに、道内各地の港湾建設に携わった。

小樽港第二期工事で考案したケーソンの進水及び海上運搬は

日本の港湾築造に画期的な時代をもたらした。

胸像は小樽市により昭和十六年に小樽公園内に建てられたが、

同十八年、廣井 勇の胸像と相前後して金属供出となった。

同二十八年十一月三日、廣井 勇の胸像とともに中野五一の制作により再建された。

正面に「正四位勲二等伊藤長右衛門君像」と書かれた二メートルの

みかげ石の台座に胸像が置かれている。

平成十一年八月、完成した「運河公園」に開港百周年記念事業の一環として、

廣井 勇の胸像とともに移設された。

伊藤長右衛門像-1

伊藤長右衛門像-3

伊藤長右衛門像-4


小樽への功労者としてぜひ市民の人にも見てもらいたい一つです。

以前紹介した「廣井 勇博士」とともに運河、小樽港と防波堤に向けて配置されています。

(17)歌碑・記念碑 小樽八名所

歌碑・記念碑(17)は

小樽八名所 手宮観光地ライン

小樽八名所-1  小樽八名所-2

手宮公園内にある記念碑です

裏には昭和二十七年九月四日

選定  小樽市  北海タイムス社

と彫られています

小樽八区八景は知ってますが

小樽八名所は・・・

調べてみたいと思いますぽ

(20)歌碑・記念碑 松川嘉太郎像

(20)歌碑・記念碑は

松川嘉太郎像です

松川嘉太郎像-1  松川嘉太郎像-2

小樽経済界の長老といわれた松川嘉太郎(まつかわかたろう)は、

明治二十三年(一八九〇年)七月二日福井県三国町に生まれた。

同四〇年中学校を三年で中退、父仁平が義弟宮本太吉と小樽で経営していた

回船業松川合名会社に入社した。

同四五年、砂糖の卸売り業、松川商会を設立した。

大正末期から小樽商工会議所、小樽市議会の両議員を務めるなど政財界で手腕を振るい、

さらに昭和二十一年から一〇年間商工会議所会頭を務めた。

保税倉庫の誘致、札樽国道建設に貢献した。

また同二九年北海道中央バス社長に就任、幾多の会社の危機を乗り切り、

道内随一のバス会社に発展させた。

同三七年藍綬褒章受章、同四〇年勲四等瑞宝章を受けた。

翁の政財界への功績をたたえるため、同四十三年八月、財界を中心に

「松川嘉太郎翁之銅像建立期成会」(会長・木村圓吉商工会議所会頭)が発足し、

同四十四年六月二十五日、住吉神社境内に銅像が建立された。

銅像は黒御影石の台座に羽織、はかまに威儀を正した高さ四メートルのもので

東京造形大学美術科・佐藤忠良教授の作である。

撰文は元道知事・町村金五、碑文揮ごうは書家・宇野静山である。 
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